SCOのふしぎ(その1) どういうつもりでこのオーケストラをやっているのか?

2015年05月12日 22:37

このオーケストラがはじまったとき、私はこのオーケストラを「中年の男性でも参加できるオーケストラ」にしたいと思った。かくいう私自身がそうであったからである。

この思想は常にこのオーケストラの運営方針に反映させている(つもりである)。このオーケストラは別名「中年男性のためのオーケストラ」だと言ってよい。

しからば、中年男性とはどのような定義の人種を指しているかというと、その答えは私にはとてもはっきりとわかっている。つまり、私のような人種である。

この分類に所属する人種の特徴は以下のごとくである。
1.時間がない
昨今、家族を養っている中年男性というのは自由時間というものをほとんど持っていない。今の生活レベルを維持するには高額な収入が必要であり、その収入を得るためには滅私奉公で働かなければならないからである。特に子供の教育費にはかなりの費用を必要とする。もっとも、子供が勉強の上で極めて優秀な場合はそうではない。優秀な子供は大学などからは引く手あまたであり、授業料など受け取らなくても良いから来て欲しい、そして立派な社会人となって出身学校の名を上げ、お金をもうけてたくさんの寄付をしてほしいと学校側が思っているからである。ただし、芸術系や体育系の場合はかならずしもその通りではない。こう いうジャンルは学費がただになっても、個人レッスンのための費用や、楽器や用具に多くの金がかかるからである。
 自分の子供が優秀でないのですこし熱くなってしまった。話を続けよう。
 中年男性が今の収入を維持するためには、たとえば「君、わが社の製品が壊れてしまった。今晩すぐに北海道のお客さんのところへ行ってほしいんだが。」などということがけっこうあるのである(そのような目にあった人はオーケストラの団員にもいる)。そういうときに断ると、周囲から「あいつは勇気がある」といってほめられることになるが、その先は万年平社員という生活が待っている。
2.金がない
 すでに述べたように、中年男性は金を持っていない。昔は給料は現金で本人に支払われたし、課長以上はグリーン料金が支給されたのでちょっと節約すれば現金 のへそくりを作ることが可能であった。しかし昨今では現金が入ってくるという機会は月へ行く機会よりも少ない。
 会社では消しゴム一つでもなくせば白い目で見られ、出張の際には10円でも安い経路を通るように指導される。それなのに一旦会社の外へ出るとやれ消費の拡 大だの、ゆとりの生活などと調子よくおだてられて、金を使うように指導されるのである。ところが中年男性は金を使う時間がないので、多少なりと余った金は、妻か子供が使うことになり、中年男性は一万円亭主などと呼ばれて耐乏生活を送ることになる。
3.若い女性と遊べない
世代のギャップというのはヒエログリフ(だったかな)にも書いてあるそうである。中年男性はそんなことはものともせず、若い人(特に若い女性)とも遊んでみたいと思っているのだが、共通の話題もなく、体力的にもついて行けないということで実現は難しい。
かといって、上述のような月に一万円の小遣いでは、女性一人をさそって一回食事をするにも足りない。スポーツをいっしょにやるにはとても体力がついていかない。おしゃべりをしてみたところで話題が合うはずもない。
4.演奏がへたである
 これは必ずしもすべての人にあてはまるわけではないが、金も時間もないのだからへたはあたりまえである。朝早く家を出て夜遅く帰って来る生活では、いくらも練習に割ける時間などない。会社でめいっぱい神経を使ったあとでは、ハードな練習などしんどくてできないという体力上、気力上の問題もある。

以上に長々と述べた中年男性をこのオーケストラに参加させたいと思ったら、次のような方針が不可欠になる。
1.拘束時間が短い
2.会費が安い
3.若い女性も参加している
4.へたでも文句を言われない

この4つの方針を維持できれば、
1.時間を多く割くことなく、
2.金もそう必要ではなく、
3.若い女性ともつきあえる。
 (本番でどこそこを間違えたとか、来年はこんな曲をやってみたいとか、あなたの楽器はすてきですねえとか、僕は中年になって楽器を始めたんだが今は本当に楽しく幸せにオーケストラで演奏していますとかいう話で、いくらでも盛り上がることができ、打ち上げに参加すればいっしょに酒も飲めるし食事もできる。)
4.そして、(これが一番大事なことだと思うが)へたな演奏者も楽しく参加できるのである。