Kさんの思い出 (突然あの世に行ってしまったKさんに捧げる一文)

2015年05月14日 21:44

あるとき、自転車を肩に載せて深山公園まで歩いて登ったことがある。行き交う人たちには自転車泥棒か、もしくは故障した自転車を担いでいる気の毒な 人と写ったであろう。あんまりみっともなかったので、これは一回限りでやめてしまったが、もとはといえばKさんがさそってくれた北アルプス行きの事前のト レーニングのつもりであった。そんな自前のトレーニングをKさんはおおいに褒めてくれた。トレーニングの甲斐があって、無事に二泊三日の山行きをこなすこ とができたが、話はその山行きから始まる。

登山口までは車で行くという。夏だから良いがKさんの車は後部座席の暖房が壊れている。買うときにそう言われたそうだ。暑がりのKさんが、冷房さえ利けば良いと言って買ってしまったのだ。そんなKさんを許している奥さんも立派である。

高速道路でも登山口まで一日かかってしまうから、初日は高速道路のサービスエリアで野営するのだという。確かに高速道路のサービスエリアは芝生が あってきれいだし、トイレや売店もある。トラックの運ちゃんたちが車を止めてけっこう仮眠しているから、仮眠そのものは珍しくもないが、テントを張って野 営しているのは(当然ながら)我々だけであった。山の上の二泊は山小屋泊まりであったから、テントはこのためだけに持っていったのである。

翌日、車をタクシー会社の駐車場に預けて、タクシーで登り口まで行く。すると途中Kさんが「ちょっと止めてくれ」と言って道端でげぼげぼやってい る。聞けば二日酔いとのこと。サービスエリアが暗くて、ウイスキーの水割りの濃さが見えなかったからという。このうかつさはKさん独自のものである。

快晴だった。二日酔いのKさんと、Kさんの奥さんと私ともう一名を入れて合計四名のパーティーは徐々に高度をかせいでいった。常念小屋まで上がって 一服した後、無事に常念岳をきわめた。もっとも山頂は思ったよりも遠く、山小屋から石ころだらけの道をたっぷり二時間以上かかってしまい、一行はかなり閉 口した。

山小屋にもどると生ビールを売っていて、これがやたらうまい。Kさんは気の毒に二日酔いでパスであった。

翌朝も改正で、朝、小屋の前から周囲の山々が一望にできた。黒々とした山肌がやがて朝日に染まっていくさまをKさん夫妻とながめた。Kさんの奥さん によれば、山が赤くなるんだとのことであったが、その日はそれほどでもなかった。Kさんの奥さんは列車の窓からながめた赤い山肌のことをしきりに話した。

常念からつばくろまでの縦走路ではようやく二日酔いから脱出したKさんが、周囲の山々を解説を交えながら楽しんでいた。初心者は私だけで、残りのメ ンバーは「あの山に行ってどうだった」とか、「ここへ来たのはあんたと一緒だったろう」などとさかんに思い出話を披露していた。私の方はすばらしい山の景 観とともに、はじめて見るクジャクチョウに喜んだり、名前のわからない高山の花に感動したりしながら一日の縦走路を楽しく歩き通した。

つばくろ小屋の一泊の際、夕食後小屋の主人が山の話とアルペンホルンの演奏というメニューで小さな講演会を催した。山小屋と言っても数百人も宿泊す るような規模で、講演会の聴講者も多かった。私には聞くことすべてが新しく、興味深かったし、アルペンホルンで演奏されたブラームスの交響曲の一節(アル プスの民謡だとか)も楽しかった。もっとも演奏は難しいらしく、上手とはいえなかった。講演会のあとでKさんが、「あれは有名な曲なんですか」と聞くから 「そうだ」と言うと、どうも音楽はわからんという思いをこめて「ははあ」とため息をついていた。たぶん講演の方もKさんにはもう聞きなれた内容だったのだ ろう。若干あきあきしたという雰囲気であったが、Kさんらしくそれを角を立てないように表現したのだと思う。

Kさんは現代文明の恩恵をあまり必要としていなかった。少ない物資で暮らすことができるというのは山男のひとつの特徴でもあるが、Kさんの哲学でも あったように思われる。会社まで10kmほどの距離をバスに乗らずに自転車で通勤することもあったが、その自転車というのはごみ捨て場から拾ってきたもの であった。これで十分、とKさんは楽しそうに言った。

Kさんは才気があるというわけではない。

話は上手だと思うし、冗談もうまい。が、相手を説得するような話し方ではなく、いつも一歩引いている。それが相手に安心感を与え、心を開かせるのかと思う。

金もうけはたぶんうまくはなさそうであって、ビジネスの才能があるとは到底言えないが、ひと時代前だったら人間関係をうまく保つ理想の上司と見られたかもしれない。残念ながら現代の機械化した効率一辺倒のビジネス集団の仕組みには似合わなかったのではないか。

何かしら、会いたくなる。たまにはいっしょに山を歩いて、あの独特の冗談を楽しみたい。酒を飲んで、音痴の歌を聴きたい。

遊んで飲んで、それで何も後へ残さない。

毒にも薬にもならないと言うのはあたらない。布団に触ったような安心した感触だと思う。

人生には戦い以外の大事な側面もあるのだと。人のぬくもり、ほどほどの速度、そんなものが貴重なのだとKさんは考えていたと思う。もっとも、直截的 にそれを言うこと自体がKさんの哲学に反していたであろうから、我々がKさんの哲学をKさんの言葉として聞く機会はなかったであろう。Kさんを理解するに はその行動のみがたよりである。

私にとっては、独特の温かさといいかげんさを持ち合わせたKさんの存在は、とても大切なものであった。Kさんが存在しているということだけで、どれほどの安心感があったであろうか。

ふたたびKさんと山へ行く機会は失われてしまった。温かくてひょうきんで、仕事はほどほどに遊びがたくさんのKさん。退職してもつきあいたい、ひとにぎりの同僚の一人であったKさん。貴重な人を失った悲しみははらいのけてもじわじわと沸いてくる。

Kさん、そのうち俺もあの世に行くよ。あの世には登れるような山があるかねえ。