SCOのふしぎ(その5) 木村先生とはだれなのか

2015年05月12日 22:41

2003年のプログラムはドボルザークのチェロ協奏曲、通称ドボコンであった。この水溜りにはまったような名前の曲は、しかし大変な名曲で、オーケストラも大いに盛り上がった。第一楽章は完璧なでき、第二楽章は私が間違えてへたった。第三楽章は少し息が切れたぐらいすばらしい演奏であっ た。その後の打ち上げではソロを弾かれた木村先生の奥様からいただいた3リットルのシャンペンまで登場し再度盛り上がりなおしたほどであった。

木村光先生はわれわれのオーケストラのトレーナーも兼ねていて、毎年10月か11月の都合の良い日を選んで、毎年東京から来ていただいている。先生が来られるようになってからすでに10年が経過した。たぶん、来年も来ていただくことになると思う。

オーケストラのトレーナーの役割も、オーケストラによってさまざまであろうし、たぶんいろいろな方がおられるのであろう。私は他のオーケストラをあまり知らないから木村先生と他の方を比較できないが、どうも端々に聞く範囲では木村先生のような魅力を持った方はあまり多くはないように思われる。で、その魅力はなんだと問われるとまた困るが、私は庶民性ではないかという意見である。ご本人の行動をよく見るとあまり普通とは申せないが、他人に対する思いやり、筋の通し方などが、気難しいけれども愛すべき下町のおっちゃんみたいなところがあるのである。ちなみに普通でないといえば、我々のオーケストラの団員の中にもつわものは多いから、驚くにはあたらない。

さて、すでに35年ほども前の話である。小遣いをためてチェロを買った私は、どう練習してよいかわからず、銀座の十字屋に紹介してもらって先生の薫陶く んとうを受けることになった。そのころ先生はまだ30前 で独身であった。先生は発足したばかりの東京都交響楽団で弾いており、また、青山学院大学のオーケストラのトレーナーもされていた。その後約二年間先生のところに通ったが、私はぐうたらな弟子であり、大学では吹奏楽部や合唱部まで兼務していてチェロはそれほど一生懸命やらなかった。大学を卒業するときに先生にご挨拶にうかがったのを最後にお会いする機会もほとんどなかった。しかし、卒業後も幸いチェロを続けることができて、一度だけだと思うがリハビリレッ スンを受けたことがある。

ところで、SCOには私のほかにもう一人先生の弟子がいる。よくよく話を付き合わせるとどうも私が先生のところへ出入りしていたころに顔をあわせているらしい。互いにほとんど覚えていないということにはちょっとさびしいものがあるが、それはさておき。

めったに外に出ない東京都交響楽団が岡山へ演奏旅行に来たことがあった。このときに本当に久しぶりに先生と再会を果たした。それがきっ かけでトレーナーとして来ていただくようになった。

先生の指導は我々にとっては目からうろこであった。「そこは管が伴奏だが、メロディーが合わさなくちゃならない。メロディーがついてこなかったら置いて行ってしまいなさい」などと、思いもよらないようなことを言われたものである。

先生はすでに定年で楽団を去られ、今はエキストラの仕事や弟子の育成、それに趣味を楽しむ生活を送られている。一口に趣味といっても、 これがなかなかすごくて、車(ベンツとメッサーシュミットに乗ることを含む)、ゴルフ、ラジコン、日本刀、ダイビング(海)、ワイン、犬を飼うことなど幅 広く、それぞれかなりのレベルに達している。飲み会でその薀蓄うんちくを拝聴するのも楽しい。奥様も楽器を演奏され、一 度岡山にもおいでくださったことがある。やんちゃな先生をどう操縦しているのか、その手の内をかいま見せていただいた。

あまり大きな声ではいえないのだが、実は先生にはすずめの涙ほどの費用で来ていただいている。それでも、ご自分で旅行の段取りをして、時間通りに現れる。庶民的で律儀な方なのである。音楽家の中には尊大だったりする人もないとはいえないが、木村先生に限ってはその心配は全くない。今年も先生と飲むのを楽しみに。いや、まちがえた。先生のご指導を仰ぐのを楽しみにしている。