SCOのふしぎ(その2) 選曲はだれがどうやってしているの?

2015年05月12日 22:38

このオーケストラの実態は私の独裁である。これは決して良いこととは思っていない。

しかし、かといって、運営委員会を設置して毎週会議を開き、議論を尽くして運営方針を決めようとするのは現実には無理である。そんな暇があったらその時間を練習に充てたいというのが中年男の本心である。SCOの不思議(その1)で述べたように、このオーケストラは「中年の男が参加できる オーケストラ」でありたい。そのためには運営のために時間をかけるよりも練習のために時間をかける方が賛同を得られるように思う。

ここまでが枕である。

さて、曲目は団員の最大の関心ごとであろう。このオーケストラで曲目がどうやって決められるかを知ってもらう必要は大いにありそうに思う。実態は私自身が決めているのである。ただし、多くの独裁者のように最後には石をもって追われるようなことにならないように、私なりに気を使って選曲している。

選曲の基準は次のようなものである。
1.演奏が技術的に可能である。
2.楽器編成が我々に合っている。
3.プログラムを構成しやすい。
4.私が理解できる。
5.団員もしくは聴衆からリクエストがあった。

これらの基準は極めて合理的であると認められる。よってこの基準に従って曲目を選んでいるうちは石をもって私を追ってはいけないのであ る。

詳しく述べよう。
1.演奏が技術的に可能である。
たとえば、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」が我々のオーケストラの手に負えると思う人は少ないと思う。しかし、この曲はすでに挑戦済みであり、しかも極めて成功した。一方、モーツアルトの交響曲ト短調は極めて難しかった。最終的に「ラプソディー・イン・ブルー」ほどの成功は得られなかったよ うに思う。
 曲はみかけによらない。演奏困難なところがあっても、全体としては音楽になるものもあるし、一見簡単そうに見えてどこもかしこも音楽にならないという曲もある。スッペの序曲などは前者であり、モーツアルトの交響曲は後者である。
2.楽器編成が我々に合っている。
 交響曲「新世界より」ではコールアングレエを客演として呼んだ。我々のオーケストラではこれは極めてまれなことである。しかし、この曲にコールアングレエがないのはコーヒーにクリープのないようなものであるから、これはやむを得ないであろう。しかし、10人も客演を呼ばなければできないような曲は我々にとっては不可能な曲といわざるを得ない。連絡の手間や資金、楽器の調達などの余分な仕事が増えるからである。したがって、今の我々の編成でできる曲がやりやすいのは当然である。
3.プログラムを構成しやすい。
たとえば、モーツアルトの「レクイエム」と「ちゃんちきおけさ」をひとつのプログラムとするのは難がある。このように曲同士の相性というものがあって、組み合わせるのに適したものを選ぶ必要がある。
4.私が理解できる。
 私、というのは指揮者としての私である。
プロの指揮者でも、この作曲家の作品はどうも苦手、ということがあるらしいから、アマチュアの私がある作品を理解できなかったとしても勘弁してもらうしかない。たいがいの曲は何回も聴いたり演奏したりするうちに愛着が出てくるものであるが、そうはいかないものもある。私にとってはブラームスが鬼門であり、 いつ「ブラームスをやりましょう」と言われるかとひやひやしている。
5.団員もしくは聴衆からリクエストがあった。
リクエストにはなるべく応えるようにしている。ラベルの「ボレロ」は以前写真を撮ってくれていた「嬉」(うれし)さんのリクエストであった。「運命」は打ち上げの際にだれかが言い出したことが本当になってしまった。やりたい曲があったら、常日頃「やりたいやりたい」と言っていると取り上げられることがあ る。ことほどさように私は団員の希望を無視しないのである。