弓合わせ

2015年05月04日 23:16

以前にも一部の方から「なぜ弓を合わせないのか」という疑問が出されていました。最近、再度このような疑問が提示されたので、私の考えを述べておこうと思います。

弓を合わせることは音楽表現の上で大切なひとつのテクニックであるということを私は否定しません。さらに申し上げれば、良い弓順というのがあり、そ れに従って弾くことによって音楽的にしかも容易に音楽を表現できることがあります。(いつもその両者が一致するとは限りませんが)

そこまではよろしい。しかし、弓を合わせることが負担になるプレイヤーもいるということを忘れてはなりません。楽譜を追うのがやっとのプレイヤーに 弓まで合わせることを要求すれば、混乱が起きます。例えばホルン協奏曲の速い分散和音を弾いているときに、私程度のプレイヤーが弓順を気にしていられると は思いません。そんなことよりも頭を空にしてとにかく弾ききってしまうことを勧めたいと思います。もっと言わせてもらえば、第3ポジションなら楽々弾ける パッセージを第1ポジションで必死になって弾いているプレイヤーもいるのです。第1ポジションでしか弾けないプレイヤーに第3ポジションに都合の良い弓順 を押し付けたら、それこそ「へたくそいじめ」みたいなものではないでしょうか。いや、もっとすごい例を挙げましょう。スラーがいつもかかるわけではない、 というプレイヤーもいます。そんな人にとって、皆と同じ弓順で弾くということができるわけがありません。

上手な人には申し訳ありませんが、「私のような中年の(実年かも)サラリーマンが参加できる」オーケストラにしたいというのが私の願いです。そのた めには、少々のことは目をつぶることも必要です。弓順は少々のことかと怒る人もいるかもしれませんが、私はあえて、「少々のことである」と申し上げます。

私が思うに、少々ではないこと、大事なことは弓順以外にあります。なによりも「皆が楽しく練習に参加できること」でしょう。演奏の上では、小節を間 違えずにリズムを揃えて演奏できること、音程が揃うこと、皆がその音楽に共感できることです。皆にそれができるようになったら、晴れて弓順を合わせるとき が来たと思いましょう。

そうは言え、先に申し上げたように弓順を合わせることは良い事でもあり、良い音楽を作る手段となり得ます。後に添付するわれらがコンサートマスター の意見は拝聴に値すると思います。それなりの能力を持った人が弓順を合わせることを否定しようとは思いません。また、へたくそでも合わせられるところは合 わせたら良いでしょう(バイオリン協奏曲の第二楽章はそのようなところだと思います)。 私が指揮者の立場で「弓順を合わせるように」言うと、他のことを犠牲にしてまで必死になって合わせてしまう人が多いでしょうから(誰も指揮者の言うことな んか気にしていないということなら心配ありませんけれど)、このあたりの調整は各パートリーダーにお任せしたいと思います。くれぐれも弓順を合わせること の副作用が出ないようにお願いしたいものです。

われらがコンサートマスターの意見(またぎきなので不正確かもしれません) 難しいところは弓を決めて弾いた方が最終的にはうまくいくと思うわア。決めないで弾いてると、その度に弓が変わって混乱することになるでしょう。全体に合 わせるというのではなくても、自分が「これなら弾ける」という弓順を作っていつもそう弾くようにするとうまく行くんやないかなあ。

海野義夫さんの意見(実話)

N響のコンサートマスターになって弓順をきめたのだがどうもうまくいかないんです。自分では、「こんな良い弓順なのに」と思うが結果が出ないんです ね。で、あるときふっと思いついて、「一番後で弾いているプレイヤーが弾きやすい弓順」にしたんです。そしたら演奏全体がすごく良くなった。

思い出話

運命の冒頭を、私はダウンボウで弾く事を要求しましたが、あれは大失敗でした。木村先生が来られて弓順を往復に直してからずっと良くなりましたね。音楽的な弓順よりも弾きやすい弓順が大切だということを学んだ一幕でした。