夜汽車の歌

2015年05月14日 21:55

夜汽車には特別の感慨がある。酒とつまみを用意して列車を待つときのうきうき感。それが朝ではなく、夜であるというところがなかなかいい。

夜の高速道路をドライブするのも乙なものだが、安全運転に気を使う必要もあるから、そうそうセンチメンタルになっていられないし、第一酒が飲めない。飛行機の夜行便もまた趣があるが、飛び立つときの勇ましさが、感慨を誘うには少しそぐわない。

静かにホームから滑り出す夜行列車こそが、人生の一こまに特別なシーンを挿入するのだと、鉄道好きの筆者は力を入れて書く。

ときどき、特急「サンライズ瀬戸」に乗る。この列車は広い窓がある個室が主になっていて、一人静かに酒を酌みながら移り変わる夜景を楽しむことができる。在来線の、生活のにおいのする空間を列車は走る。夜も遅くなって、帰宅を急ぐ人たちが踏み切りで列車の通過を待っている。独り者が晩の食事を買っているのが見える。田舎の真っ暗な空間にぽつんと家の光がある。一瞬々々に見えるものが昼間とは違ってひときわ心に訴えかける。

夜行列車で聞く音楽は決まっている。河島英五のアルバムである。

静かに男が聴くべきものがそのアルバムにはある。時々出会う人生の難しさ、人の優しさ、口に出せない悲しさみたいなものが彼の歌に充満する。移り変わる夜景を見ながら、やがて酔いも進み、沿線は静まり返って人影もまばらになる。常日頃は訪れることのない心の中のある特別な場所に彼の歌が自分を導く。 来し方行く末を考えながら、誰にも邪魔されずに感傷的な思いにひたる。そんな時間があるのがいい。

我々の日常はそんなに心が揺れるようなものではない。一生懸命アンテナを張っていなければ、日常の喧騒の中にただ過ぎていってしまう。 夜汽車の個室は、ふだん思わないことを思うことができる特別な世界である。一人、夜に仕事にでかける。一人夜に仕事から帰る。そんなときに感傷にひたらずに済ませるのは惜しい。

だんだんと世の中が速くなってきて、夜行列車も次々に廃止になっているが、エネルギーコストが高くなると鉄道が復権する可能性もある。 あと50年ぐらいするとまた夜汽車が日本中を走り回る日が再来するかもしれない。そのころには河島英五もちょっと古すぎるということになるかな。