ブラームスの音楽(2009年の演奏曲目について)

2015年05月14日 21:57

ブラームスの子守唄ってあるでしょう。

あれとモーツアルトの子守唄を比べてみると、今年のプログラムの曲の性格がよくわかるかもしれません。

ブラームスの子守唄って、「ねむれーーねむーれー」っていうやつ。あの最初の「ねむ」の部分は「れー」っていうところの導入部で弱起の部分なわけです。だから「ねむ」っていうところはなんだかあいまいな形で音楽が始まって、「れー」っていうところではじめて音楽がはっきりする。

モーツアルトの方はどうかというと、小節の最初から「ねむれよいこよーー」って始まる。はっきりしている。

今年のプログラムの曲もそうなんですが、モーツアルトの音楽はとてもクリアーで疑いの余地がない。ところがブラームスの音楽ははっきりしなくて、どこが始めでどこが終わりなんだかよくわからない。こっちで「わぁー」というとあっちで「ひゃー」と言う。それが「わーひゃーわーひゃー」とつながってひと つの形が見えてくる。そういう音楽なんだ。だから断片だけでは音楽がわからなくて、全体を見る必要がある。

告白すると、僕は長いことブラームスが苦手だった。正直言ってよくわからなかった。僕はエンジニアですから、物の大きさとか形と言うものに結構敏感だと思う。僕の感覚から見るとブラームスの音楽というやつは、形がきちんとしていない。だからちっともわからない。そう思っていた。

まあとりあえず今年ブラームスをやることにして、楽譜を買ってきて読んで見た。そうしたらびっくりしたことに楽譜はすごくきちんとした形をしている。まるでブロックをていねいに積み上げたみたい。それがきちんとしていないように聞こえたのにはそれなりの理由があった。それは音楽が小節の頭から始 まっていない、ということに起因している。

はじめの子守唄をもう一度思い出してみて下さい。ブラームスは「ねむ」を弱起にしている。だけど、この曲を聞いて、「ねむ」を聞いた瞬間にこれが弱起だと思える人がいるだろうか(これを日本語でやるからいけないという面はあるが)。普通はこれが小節の最初だと思うのではないか。ブラームスの音楽は音楽を聴くだけではなかなかわからなくって、楽譜を見てはじめてわかるというところも多いように思われる。

これはある本の受け売りだけど、弱起っていうのはけっして弱くないらしい。先の例でいけば、「ねむ」から「れー」に音楽を持ち上げる部分だから、持ち上げられるだけのエネルギーを注入する必要があり、しっかりと演奏されなくてはならないとのこと。ブラームスの音楽はこの弱起の部分をかなりひんぱんに、しかも明らかに意図して使っている。これが自然に感じられるようになればブラームスも理解できるようになるのかも。まだその境地に到達してはいない が。

もうひとつ、ブラームス以外の多くの作曲家の作品を聴くと、その意思表示と言うのが実に強烈だ。ブラームスのライバルであったワーグナーなどは強烈も強烈。とてもかなわない。ベートーベンだってそうだし、モーツアルトも、バッハも、シューベルトも、ショスタコービッチも、マーラーも、ヨハンシュトラ ウスだって、その意思というものがはっきりと聞き取れる音楽のつくりをしている。ところがブラームスはそうではない。ブラームスの音楽は意思の明確さよりも思慮深さみたいなものを前面に押し出して設計されているように見える。それであるがゆえに、音楽がわかりにくく、その良さが(私だけかもしれないが)なかなか理解されない。ところが、いったんわかってしまうとこれがとても楽しい。各楽器がそれぞれに音を重ねていくと、そこにだまし絵のように何かがうかび上がってくる。演奏者はみんな楽譜を見てるから、音楽の構造理解の手がかりがある。構造がわかれば演奏するのも楽しい。気の毒なのはこれを聴く人。楽譜を見ずにこれを聴くと、どうもわかりにくい、ということになってしまう。

それで、ぼくはできるだけわかりやすい作り方をしたいと思っている。まずできるだけインテンポにする。インテンポというのは、聴いている人に拍がわかるテンポだと思ったらよい。ベターっと一定、ということではない。先ほどの弱起の話にしても、これが音楽のつながりで出てきてくれれば弱起だということがわかる。ただし、テンポをゆらしたらわからなくなってしまう。

ぼくはヴァントとバーンスタインのCDを持っていて、どちらもなかなかの名演と思うけれども、ヴァントのほうがインテンポでやっている。バーンスタインもすばらしい演奏だと思うが、テンポがよく動く。さすがにバーンスタインがやるとそれはそれできちんと聴こえるところがすごいと思う。だけどこれを我々がやってここまで説得力を持たせられるかというとかなり疑問。やっぱり、ヴァントのように、といったらヴァントに失礼だが、基本的にインテンポでやる方が我々の技量に合っている。

ブラームスを弾くのはとても楽しい。ブラームスを楽しめる歳まで生きていて良かった。