ノート

2015年05月14日 21:49

弾き語りをする人がいる。

私にとっては、これは大変に難しい。語ろうと思えば演奏を中断しなければならない。

楽器を演奏しているときに、なんやかんやと話しかけられることがある。その場合、言われた内容はちゃんと理解できているのだが、それに対して演奏をしながら口を動かして答えることはできない。

物理学者のファインマン教授によれば、人間の脳は二つのことを同時にすることができるとのことである。教授は、本を読みながら数を数えられると言う。私も試してみたが、これは意外にも容易にできる。

もっとも、無意識下では人間はもっともっと多くのことを同時にやっている。たとえば、歩きながらガムをかみ、美人をぬすみ見たりする。 これはきわめて高度なマルチタスクである。しかし、ここでは無意識下の話は除く。そこに入り込むには広範な医学的知識が必要なようである。

さて、私はノートをとることがきわめて下手である。会議の議事録をとってくれ、などと言われると気が重くなる。

なぜノートがとれないのであろうか。なぜ、気がついたときにはノートは真っ白で話だけが進行していく、のであろうか。

だいたいにおいて、ちゃんと話を聞いているときには、話の内容を咀嚼し、自分の意見と照らし合わせたり、新しいアイデアを考えたり、次の発言を用意 したりする。この上ノートなどとれるものなのであろうかと思う。先の議論によれば、人間の脳は二つのことを同時にできるとは言うが、どんな組み合わせでも できるというわけではないそうである。私にとっては、話を聞くこととノートをとることは同時に出来ない仕事の組み合わせなのであろう。だが、多くの人がで きるこの能力が、40年近くも知識労働にたずさわってきた私にできない、ということは奇妙なことのように思われる。いかに努力が足りないといっても、これ だけ長くやっていればもう少しはできてもよさそうに思うからである。

弾き語りは訓練すればできるそうである。きっとノートをとるのも訓練すればできるのであろう。しかし、私はもうそうする気はない。なぜなら、その ノートをきっとどこかへ置き忘れてなくしてしまうからである。ノートをとる訓練をする前に、ノートを置き忘れない訓練をしなければならない。そして、どう もそちらのほうがずっと難しい訓練であるように思われるのだ。