まともでない人

2015年05月14日 21:53

「まとも」の定義としては、謹厳実直、仕事熱心、職務忠実といったところであろうか。我々の生活を支えているのはこういう人たちである。

「まともでない」の定義は、きちがい、好き勝手、自由奔放、糸の切れた凧、のようなものか。我々のオーケストラにもこのような人はかなりいる。

自分はというと、「まとも」な会社での生活と、「まともでない」オーケストラの世界の両方に足を突っ込んでいて、それをなんとかやりくりしている。 プロの演奏家などから比べれば、はるかに「まとも」な人間であると自負しているが、会社では「まともでない」と見られていたようであって、それは出世や給与に反映されている(実力がないのを棚に上げるな!と言う声あり)。

最近になって、いろいろと事情が変わり、というか、まあ人手不足になって、私のような「まともでない」人間の居場所も少しはできてきた。その結果、 私なりのやりかたで仕事をして、それが思いもかけず評価されるという好循環になり、ようやくエンジニアとして価値のある仕事ができているという実感が得られるようになった。定年間近でこのような状態になれたのは幸運だったと思う。

会社は集団であり、方向付けがある。その方向を忠実に守って抜きん出ることが通常良いとされており、違う方向に抜きん出ることは歓迎されない。年頭には社長が「今年の方針」というものを出し、それに沿って各ビジネス集団が粛々と動くというのが理想の構図である。しかしそれだけではうまくいかないであろうことは推測できる。なぜなら、神ならぬ人間の予想できる範囲は限られており、必ずや予想外のことが起こるからである。会社の年頭方針は頭の良い人たちがよく勉強して出している方針であるから、おそらくは80点がとれる方針なのであろう。しかし残りの20点は「機転をきかせて」というか「いきあたりばっ たり」でやらなければならない。

物事がうまくいかなかったりするとよく「計画が悪い」と言われる。そうであることもあるが、計画だけではどうにもならないこともある。 特に新規なことをする場合など、先は見えていないのだから、いくら緻密な計画を立ててもだめである。これまでの経験からすると、たいていは時間が足りなくなる。予想外の事態に対応するための時間を予め見込まないからである。その余裕時間を計画に入れると、「計画が甘い、もっと早くできるはずだ」と言われる。よって「一番うまくいった場合のスケジュール」ができることになり、ちょっとでも予想外のことがあればたちまち計画は遅れる。そしてそういう事態は絶対と言って良いほど起こり、人々のストレスを増大させる。

私は常日頃こんなことばかり言っているので、周囲の人は私がまじめに仕事をしていないと思っているらしい。多少当たってはいるけれども、全部が全部そうだというわけではない。会社の仕事であるから、「まとも」が80%、「まともでない」が20%ぐらいである。それでなければ仕事の結果は惨憺たるものになってしまう。一方オーケストラの方は芸術であり、この比率が逆でなければいけないであろう。仕事とオーケストラの両方をすることは、そこに難しさがある。ではあるが、そうすることに面白みもあり、案外と老化防止などに役立っているかもしれない。

昨年、私は自分の指揮をビデオに撮ってもらって分析してみた。技術的にはいろいろ問題の発見があって良い経験になったが、一方で、自分が思ったよりも活発な指揮をしているのを見てびっくりした。もともとの性格としては、そんなに人前に出るような性格ではないし、ネアカよりはネクラに近い性格である。 長年指揮をやっているために性格が変わったとも疑われるが、自分ではそうは思っていない。エンジニアの自分が本当で、指揮をしている自分は芝居である。芝居は技術でカバーできる部分もあるから、経験を積むとできるようになるのだと思う。

音楽と仕事の両立はいつまでできるか。歳をとってだんだんペースがにぶってきたせいか、やや両立が難しくなってきたと感じることがある。ジキル博士 とハイド氏の物語では、「まともでない」ハイド氏がだんだんに「まとも」なジキル博士を乗っ取っていくという筋立てになっている。定年を機に、私も仕事を 少し減らしてやり残した音楽関係のあれこれをしたいと思ったりもしているが、この結果「まとも」なジキル博士から「まともでない」ハイド氏に変身するということになるのかもしれない。恐ろしいことである。

蛇足:計画外のこと、つまり問題が起こるのは実は楽しいことである。その時こそ、真の実力が試される機会である。多くの場合、現場での迅速な対応が求められるから、自己の裁量範囲も拡大する。問題が起きているときは重圧に耐えて仕事をしなければならないこともあるが、そこが済めば、問題が解決したか否かにかかわらず評価する人は評価してくれる(評価しない人もいるが、それは放っておけば良い)。